代表の紹介

このページをご覧いただきましてありがとうございます。以下、代表の服部俊幸本人が書いております。
2018.10.16 last updated

195*年 岐阜県大垣市に生まれる※誕生日で本人確認する会社があるので誕生日をここには書きません
1978年 岐阜県立大垣北高等学校卒業
※同校を卒業された有名人には以下のような方々がおられます。
・立川敬二氏(宇宙航空研究開発機構理事長、元NTTドコモ社長)
・村瀬清司氏(元社会保険庁長官)
・風船太郎氏(大道芸人)
1982年 東京大学工学部計数工学科卒業
※電気・電子関係の学科に進みたかったのだが訳あって応用物理コースに進路変更。センサー開発を意図している計測コースに進学したが今にして思えばよかったのかも。同じ学科を卒業した有名人には次のような方がおられます。自分も早くそうならないと。
・野口悠紀雄氏(超整理法で有名)
・鳩山由紀夫元首相(首相になる前は同じ学科卒業を自慢できたが今となっては微妙)
・猪子寿之チームラボ代表取締役(過去仕事上で接点はあったのだが面会はできていない)

1982年 日本電気株式会社入社
1991年 セイコーエプソン株式会社入社
2006年 アイテック株式会社入社
(2009年2月~2013年8月アイテック株式会社代表取締役)
2013年 アーミン株式会社設立・操業開始 今に至る


技術遍歴・職歴等々
技術バックグラウンド

①「マイキット」
学研のマイキットを買ってもらって来る日も来る日も回路を作っては壊し作っては壊して弟と遊んだ記憶がある。そんな裕福でもなかった家庭でこんな高価なものを買ってもらって今の人生があります。親父(故人)・お袋(健在)、ありがとう。

②「電子ブロック」
今となってはマイキットと電子ブロックとどっちを先に買ってもらったか記憶が定かでないが、こちらも同じように来る日も来る日もこれで遊んでいました。当時は回路設計の知識がなかったので説明書に書いてあるものを次々に試すことしかできませんでしたが。最終的にはブロックから電子部品を取り出して、ラジオを空中配線して作って終わりにした覚えがあります。

③「ラジオの製作」
中学時代、「ラジオの製作」という雑誌を毎月取っては擦り切れるまで読みました。弟は「初歩のラジオ」。取り替えっこしながら読みました。

④「マイコン」との出会い1
ネットで調べてもなかなか出てこないのだが、確かポラロイドが世界で初めて(インスタント)カメラにマイクロプロセッサを内蔵した、という記事を雑誌で読んで異常に興奮した覚えがある。こんなちっちゃい機械の中にコンピュータが内蔵されて複雑な制御をしている!って。

⑤「マイコン」との出会い2
大学入試をパスするまでは電子工作関係は封印していたのですが、入学後秋葉原に近かったこともあって電子街に通いました。手始めに NECの8080Aをチップで買ってきてLEDとトグルスイッチでボードコンピュータを手作りしました。これが「技術者の卵」の始まりでしょう。職業としてコンピュータに関わりたくて卒業後NECに入社することになります。

※大学に入ってから遅まきながら「アマチュア無線技士」の取って10Wで開局しましたが、興味がマイコンの方に急速に移ったため局免許は自然消滅させ、ハムからは足を洗いました。無線技士の方は終身有効なので今からでも再開局はできるはずです。


以下、プロとしての技術遍歴、業務履歴になります。

⑥メインフレームの設計

NECではACOSシリーズの超大型機を設計していました。ちょうどPC-9801シリーズの出始め、パソコン通信が始まったくらいの時期で、時代が大きく動いていく予感はその頃からありました。そんな時代の流れに抗うような、生活のためのお仕事としてマンモスのように滅びていく製品をやり続けることにモチベーションが上がらず、かと言って社内で異動しても転職と同じ、だったら両親と一緒に暮らせる田舎に行こう、との思いで長野に転職することを決断します。

⑦モノクロ・レーザープリンタの設計

セイコーエプソンに転職して最初の仕事がモノクロレーザープリンタの制御基板の回路設計です。当時のプリンタエンジンの解像度が300dpiで文字がゴツゴツしているのを、600dpi相当にスムーズにするアルゴリズムとか、フォントやイメージを圧縮するアルゴリズムを回路化しました。その後マッキントッシュ専用のプリンタを企画したり、CPUの選定から始めて制御基板全体を企画設計したり、ひとつの製品を世に送り出すにはどうすればいいのかをこの時期に学びました。メインフレームだと関わる人が多すぎて自分の製品と思えなかったものが、自分がやった、と初めて思えた幸せな時期でした。

⑧カラー・レーザープリンタの開発・設計

ちょうどいいタイミングでレーザープリンタのカラー化に立ち会うことができました。画像処理のための1画素当たりの情報量が1bitから24bitに急激に増え、フルカラー24bitをトナーの4色に落とす処理など、制御回路に負荷が大きくかかることになったので、アルゴリズムの回路化などに精を出しました。

⑨インクジェットプリンタの開発

アルゴリズム開発を極めたい思いから会社で主流のインクジェットの部隊に異動を申し出、しばらく色の高精度化、安定化の仕事をしました。

⑩無線の仕事を始める

会社の方向性も、自分の仕事も閉塞感が漂う中、縁あって無線の会社に二度目の転職を果たします。そこで最初の仕事は、アクティブRFIDという、電池を内蔵して自ら発信する無線タグの事業化でした(SUICAやNANACOは外部から電力を供給し電池は内蔵していない)。結果的にビジネスとして大きく育つことはありませんでしたが、技術の種をビジネスにする、business developmentと言う仕事の貴重な経験をさせてもらいました。

⑪環境発電無線に手を染める

会社の事情から2009年から代表を務めることになりました。製造委託の本業が急激に縮小する中、新事業の立ち上げを迫られ、最終的に行き着いたのが「環境発電無線」です。これが今の仕事につながっています。技術的にはようやく実用化に耐えられるものができたものの、ビジネスとしてはまだまだ道半ばというところです。


(以下、2015.5.31記す)

以下は現在興味を持って取り組んでいる技術を紹介します。

(1) アクティブRFID

最初に取り組んだのが「アクティブRFID」です。SUICAなど外部から電力を与えるのではなく内蔵している電池で自ら発信するタイプのタグです。「児童の登下校を見守るシステム」のような限られたジャンルで今でも使われているようです。形を変えてBluetoothとスマホによる「iBeacon」が出てきて、昔自分たちが考えたアイディアが普及する兆しを見せています。ビジネスとして成功するためには、「進んだ技術を開発する」よりも、「どうやって市場を創造していくか」、が重要だったということでしょう。この期間でBluetooth Low Energyという低消費電力化やスマホの普及があったことも大きく影響しています。

(2) その他近距離無線

受託開発・受託製造が主だったのでここに詳しく書く事ができませんが、レストランでよく見かけるいわゆる「オーダーベル」が今一番普及していると思います。次が車のキーレスエントリー、エンジンスターター、更に少なくなりますが、シャッターやブラインドの無線リモコンでしょうか。照明や家電向けには恐ろしく安価な赤外線リモコンが普及したため残念ながら無線は出る幕がありませんでした。赤外線は直進性があるのと太陽光を嫌う性質があるので、これを避けたいところで無線の出番がある、という感じです。

(3) エナジーハーベスト、センサー、電源

私は最初に就職した会社の都合上ディジタル屋から出発していますが、前に書いたように子供の頃からソーラーセルのついたおもちゃやトランジスタをディスクリートで回路を組んで遊んでいたこともあってアナログについても興味は深く、スマホやTVなどディジタル家電のプレーヤーがワールドワイドで決着がついた後はアナログプレーヤーが復権してくるだろうとの思いもあります。無線、センサー、電源回路周りなど、アナログをうまく扱わないといけないジャンルは増えてきており、これから注力する技術はこれらにシフトすべきだろうと考えています。

今後は(3)について、どこかに書いていくことになると思います。

(2015.5.31ここまで)

以下、現在の取り組みの最新情報です。

エナジーハーベスト無線は実用化のあと普及期に差し掛かってきており、最新技術を実用化に繋げるのを仕事、生きがいにしている当社・自分にとってはそろそろ次に移ろうかという時期になりました。

かといって全く違うジャンルに取り掛かって立ち上げの最後まで見届けられるほど時間的な余裕はないので、今の取り組みの周辺であるいわゆる「IoT」界隈の話になります。

エナジーハーベスト無線の部品や完成品を持ってお客さん巡りをしているうちに、IoTの市場ニーズがおぼろげながら見えてきました。「温度・湿度・照度」等々はビルオートメーションの一環としてEnOceanが攻めてきた市場ですが、それに加えて「人の行動を捉えたい」という声をよく聞きます。

日本は国全体で見ればGDPは世界三位ですが、一人当たりにすると20何位とか相当下の方になってしまうようです。いわゆる「生産性が低い」ということなのですが、政府も超高齢化社会を支えるための財政状況もさることながら、この「労働者一人当たり生産性の低さ」を危惧しており、「働き方改革」という標語を掲げてその取り組みを後押ししようとしています。

当社もこの取り組みに何とか貢献できないか、と考えているところです。

(以上、2018.10.16記す)