我慢さえできればうまくいったも同然だ

by 故スティーブ・ジョブズ(前アップルCEO)

ご存知、数限りないヒット商品を飛ばしたアップル共同創業者・前CEOの言葉だけに重みが違います。

「情熱がたっぷりなければ生き残ることはできない。それがないと人はあきらめてしまう。だから情熱を傾けられるアイディアや問題をもっていなければならない。正したいと思う誤りでもよい。さもないと、こだわり続けるだけの忍耐力が持てない。我慢さえできれば、うまくいったも同然なんだ」

私は普通の人よりずばぬけてひとつのことにこだわり続ける執念があります。我慢ができない人はどんどん脱落していきます。だからこそこだわりのある、あきらめない、我慢強い人が生き残るのです。

儲からないからと言って簡単に損切りする資本家と私のような事業家とは思考回路が全く違うと最近つくづく思います。

 

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変化する者が生き残る

キリマンジャロの麓には360万年前に2足歩行を始めた人類の祖先の足跡があるそうです。ここは住みやすさのために住みにくい場所への移動を怠り、多様な経験を積むことなく、この地に文明が発達しなかったのではないかと言う人がいます。

日本を始めとする文明国は、基本的な衣食住に加えて、医療、通信、輸送手段が進歩しており、この環境で棲息している”ヒト”は動物の”種”としてはこれ以上進化しないのではないでしょうか。狩のために速く走れるようになったりはしないし、柔らかいものを食べ続けた結果、顎や歯が退化し始めていますしね。
(話が逸れますが、あなたの足の小指の関節は3つですか?2つですか?)

単細胞生物が苛酷な環境に耐え続け、何億年も進化し続けてきた結果が現代人ですが、自分たちで心地よい環境を作り上げた結果、これ以上”生物”としては進化しない、できなくなってしまった、ということです。ここで大規模な天変地異があったら”種としてのヒト”は残るでしょうか。

今の居心地のいい環境に満足することなく、新しいこと、過酷なことにチャレンジし続けること。これが自らが進化し生き延びていくための条件と考えています。

 

二番を目指すことは有り得ない

数年前、民主党政権時代に政府予算のムダを洗い出す「事業仕分け」がありました。中でも私が注目していたのが「国産スーパーコンピュータの開発」でした。若かりし頃スーパーコンピュータ(以下、スパコンと略す)の開発に少し関わったことがあるからということもありますが、古巣の企業が新規開発を凍結したり、一時期世界一を誇った国産機が2009年11月現在31位という事態に日本の国力が衰退していくことを憂慮していました。その後予算がついて理化学研究所の京が一時期トップになり、最近はちょっと下げたにせよ世界4位に入っているようです。ただこのままずるずるランキングを下げていくと中長期的には日本の科学技術に確実に影響を与えます。新薬や新材料の開発によその国のスパコン使わせて、とお願いしても後回しにされたり、断られたりしたらおしまいですから。

テレビ中継された事業仕分け作業のなかで、元タレントの女性議員が「一位でなきゃだめなんですか?二位ではだめなんですか?」という質問をしていたのが印象的でした。科学技術と言うものがわからない一般人・素人はこんなものかもしれませんが、こういう人々に国家の行く末を決められたらたまらない、という思いも持ちました。

科学技術と言うものは二位を目指すことはありません。エリシャ・グレイという人を知っている人はほとんどいないと思いますが、グラハム・ベルの2時間後に電話の特許申請をした人です。発見や発明は一位でないと価値がないのです。「スパコンで世界2位を目指します」と言った瞬間に「日本は二流国になります」と宣言するようなものなのです。

モノ作りも同じようなことが言えます。世界のどこかで自分たちの作っているものより価格や性能で優れたものが作れるなら我々に仕事は来なくなるからです。日本が製造業を生業として生き残っていくためにはどんなにミクロなことでもいいので世界一を目指さねばなりません。そのためにまずは「世界一になれる種」を見極める必要があります。更に言うならそういう「事業仕分け」ができるほどに金銭的にも能力的にも余裕を持つことです。まさに今が正念場です。

 

 

有言完遂

今を去ること32年前。新入社員として会社の寮に入る当日の昼。ふらりと入った近くの小さな食堂にて。そこの店主に唐突に
「あんた、新入社員でしょ。不言実行で頑張んなさいよ」
と言われてびっくり。新入社員然として不安そうな自分を元気付けようとしたのか、誰にでもそう話しかけているのか。そんなものかな、たまにそんな言葉を思い出しながら10年近く働きました。そこそこ成果は出たものの、10年頑張って残った思いは、「黙々と働くのも大事ではあるが、それだけじゃだめなんじゃないか?」という疑問でした。周りに「やる」と宣言して、人を巻き込む、協力を求める、時にはリードする、ような人間になりたい、という思いです。
縁あって長野の地に移ってからは有言実行で頑張るぞ、と誓いました。

ところが10年ほど働いて、失敗続きのプロジェクトを見るにつけ、これでもだめだ、との思いを強くしました。「実行」だけでは不十分なのです。よく頑張りました、でも結果は残念でした、では世の中に何も貢献していないのです。やり遂げなければ。やり抜かなければ。それから
有言完遂(ゆうげんかんすい)

を座右の銘として今に至ります。目的貫徹のためには手段を選ばない、冷たさ、非人間性を感じることもあるでしょう。しかし「有言完遂」することが、期待されながらもそれを裏切ってきた人々への謝罪と、自分を育て強くしてくれたことへの感謝の意を表すことになるのではないか、との思いの方が優ります。

果たして今の職責を貫徹、やりかかった仕事を完遂するにはどうすればいいのでしょうか。

 

 

段取り八分

格言とは先人たちが日頃考えてきたことが一言に凝縮されているものだと思いますが、自分の考えとぴったり合うものが見つかると、昔の人たちも同じようなことを思い悩んでいたのだな、との意を強くします。

マネージャになってから知った言葉が「段取り八分」。因みに後に続くのは「仕上げは二分(仕事二分)」だそうです。要は仕事の成否は計画段階で80%決まる、計画に80%の労力を割くべき、と言うような意味です。皆さんも思い当たる節があるのではないでしょうか。

毎朝、仕事に取り掛かる前。大きなプロジェクトを始める前。関わる人・物・お金の流れを押さえて計画をじっくり練りましょう。自分の仕事の順番が回ってきて「さあどうしよう」、納期が迫ってどたばたする、そんなことではクオリティの高い仕事、高品質の商品などできるわけがありません。

稟議書を回したり社内の合意を得なければならないとき。今すぐ決裁しないとお客さんに迷惑がかかる、今すぐ決断しないと余計な仕事・費用が追加でかかる、というような脅迫めいた決裁依頼を平気で回したりしてませんか。中身を理解せずにサインして構わないなら社長は猿でもできます。

計画の重要性という意味では会社経営や自分の人生設計などにも当てはまります。来年はこうありたい、こうなっていたい、というのであれば今どうすべきなのか?

計画をじっくり考えた時間は無駄ではなかった、と思える日が将来必ずやって来ます。

 

 

 

元上司の思い出

 

社会人になって3年ほど経った頃、知らないことやできないことはないんじゃないか、と思わせるようなスーパー上司の部下になった。どうやって大量の難問や仕事をこなしているのかそばでじっと仕事ぶりを観察していたところ、いくつかの点に気がついた。

ひとつめ。自分のすべき仕事を裏紙に順番にリストアップしていき、上から順番に処理していた。じっと何日も見ていたけれど、まったく例外がない。常に上から順番に処理して、終わったら定規で線を引いて項目を消していく。

ふたつめ。どんな人が、どんなタイミングで話しかけても常に即答していた。ちょっと困らせてやろうと思って即答できない相談や質問をすると、「誰それに聞いてみて」、と即答である。

みっつめ。どんなときでも陽気で笑顔であった。そして大柄なスポーツマンであった。

上司と部下、という関係が終わる頃、「問題は先送りしてはいけない。上に立つものは明るくなければならない」、と自ら話しをされた。

私は自分の性格を変えるのは難しいと思うので、問題を先送りするのだけはやめようと思っている。

 

 

2019/03/06 追加分

ミッション・インポッシブル

「おはよう、フェルプス君。さて今回の君の使命だがXXXである。例によって君もしくは君の仲間が捕らえられ、あるいは殺されても当局は一切関知しないからそのつもりで。なお、このテープは自動的に消滅する。」 そしてオープンリールのテープレコーダーから煙がモクモク・・・
というシーンを懐かしく思う方は私と同世代以上だろう。当時のテレビシリーズの日本語タイトルは「スパイ大作戦」であった。もはやトム・クルーズ主演映画の方が有名であるが、煙モクモク、のシーンは映画の中で今も踏襲されている。
私の忘れられないミッション・インポシブル(実行不可能な任務)は過去に数回ある。今回書くのはそのうちの一つ。

最初の子が1歳になったくらいの頃、新製品の企画が急に決まって、当時勤めていた会社の子会社に出向になった。通常なら2年ほどかかる製品を1年で完成せよ、しかも学校出たばっかりで「何にも知りません」と顔に書いてある子会社採用の新人7人を部下にして、である。私自身がまだ駆け出しであり、話しを聞いてから本気で逃げようかと悶々とする日々が続いたものである。

明るく無邪気で屈託のない彼らと話していると、経験がない、何も知らない、ということは無敵だと思った。自分に限界があることを知らないし、もしできなかったらどうなるか、ということを想像できないんだから。彼らが期待に応えてくれればうまく行くかもしれないと気を取り直し、プロジェクトは始まった。

彼らと一緒になって悩み、苦しみ、ときには叱り、そして笑い、喜ぶ日々を過ごし、ガーゼが水を吸い込むように知識や技能を吸収していく姿を見ていると私も楽しかった。自分自身もその時期人間的にかなり成長したと思うが、今にして思えば、若い頃の苦労は買ってでもせよ、という言葉は嘘でないと言い切れる。

幾度となくあった危機を乗り越えて、帰宅することもできず会社に住みついていたような生活がようやく終わり、一人前になった大勢の仲間たちを残して本社に復帰となった。

未だこれ以上インパクトのある体験は多くない。以来、どんなに困難な任務が与えられても、「あのときよりはずっとまし。そのうちなんとかなるさ」、と思えてくる。

2019/03/06 追加分